如来所以興出世 唯説弥陀本願海


五濁悪時群生海 応信如来如実言


〔書き下し文〕

如来、世に興出したまふゆゑは、 ただ弥陀の本願を説かんとなり。
五濁(ごじょく)悪時の群生海、   如来如実の言(みこと)を信ずべし。


【意訳】

釈迦如来がこの世に出られたわけは、
ただ阿弥陀如来の本願を説くためである。
五濁(じょく)の世にあるすべての人たちは、
釈迦如来の真実(まこと)の教えを信ずべきである。


【解説】

お釈迦さまが「阿弥陀仏の本願を信ぜよ」とお勤めくださっていることの意味を尋ねるところに入ります。
 お釈迦様がこの世に出られた本意はどこにあるのか、また阿弥陀仏の本願を信ずることによってどのようなり利益を得るのか、
ということについて明らかにしていただきます。


■いろいろな教えを説かれたお釈迦さまの本意


 「如来、世に興出(こうしゅつ)したまうゆゑはただ弥陀の本願海を説かんとなり」の二句は、お釈迦さまがこの世に出られたのは、阿弥陀仏のおみのりを説くためである、といわれるのです。「如来」というのは如より来生(らいしょう)された、すなわち真如(しんにょ)の世界から出てこられたお方という意味で、ここではお釈迦さまをさしています。
 お釈迦様は、三十五歳でさとりをひらかれ、八十歳でおかくれになるまで、その間の説法は、八万四千の法門といわれるように膨大な分量にのぼります。『華厳経(けごんきょう)』・『阿含経(あごんきょう)』・『般若経(はんにゃきょう)』・『法華経(ほけきょう)』・『涅槃経(ねはんきょう)』などの経典類がそれです。これらはいずれも仏の教えを伝えられたものですから、尊いことはいうまでもありません。いったい、それらの数ある経典の中で、お釈迦さまの本意はどこにあったのでしょうか。
親鸞上人は、お釈迦様がこの世に出られたのは阿弥陀仏の本願を説くためであるといわれているのです。


■苦しみ悩む人々に阿弥陀仏の本願を説くことこそ


 そのことは、『教行信証』の「教巻」にあきらかにされています。『大無量寿経』の序分によりますと、お釈迦さまがこの経を説かれるときには、それまでに拝見したことがないような、すばらしく尊い姿をしておられたのです。そのことに気づいた仏弟子の阿難尊者が、そのわけをお聞きしますと、お釈迦さまは、
 
   
如来、無蓋(むがい)の大悲をもって三界を矜哀(こうあい)したまふ。
  世に出興(しゅつこう)するゆゑは、道教を光闡(こうせん)して、
  群萌(ぐんもう)をすくひ恵むに真実の利をもってせんと欲してなり。
      
                                               「大無量寿経」(911)


と仰せられています。
 この世に出られたお釈迦さまも、他方の世界に出られる諸仏がたも、仏はみな限りない大悲心で迷いの世にあるすべての人々を哀れんでいてくださる。その仏が迷いの世界に出られたわけは、ひろくさとりへの道を説かれたけれども、苦しみ悩むすべての人々を救うために、真実の利益を恵みたいと思われるからである、といわれるのです。お釈迦さまはひろくさとりへの道を説かれましたけれども、その根本目的は、「苦しみ悩むすべての人びとを救うために、真実の利益(りやく)を恵みたい」というところにあるといわれるのです。その「真実の利益(りやく)」とは、この『大無量寿経』に説かれた阿弥陀仏の本願による救いにほかなりません。ですから、親鸞聖人は「それ真実の教を顕わさば、『大無量寿経』これなり(釈迦仏の本意を説かれた教えは『大無量寿経』である)」と明示されたのです。「ただ弥陀の本願海を説かんとなり」の海の字は、本願の広大なことを海にたとえて示されたものです。


■お釈迦様が阿弥陀仏の本願を信ぜよと勧められるワケ?


「五濁悪時(ごじょくあくじ)の群生海(ぐんじょうかい)、如来如実(にょらいにょじつ)の言を信ずべし」の二句は、前の二句を承けて、お釈迦さまのお説きくださった真実の教え、すなわち阿弥陀仏の本願を信じなさいとお勧めくださるのです。

 「五濁悪時の群生海」とは、いまの世にあるすべての人ということです。「五濁悪時」とは五つの濁悪の世とということですが、単に時代が悪い、世の中が濁っているということではありません。この時代に生き、この世の中を形成している私たちが濁悪(じょくあく)なのです。それは宗教的に清浄なるもの、善なるものを求めるところに気づかされる、人間悪の自覚であるといえましょう。『浄土和讃』には、


           五濁悪時悪世界(ごじょくあくじあくせかい)、濁悪邪見(じょくあくじゃけん)の衆生には、
           弥陀の名号あたへてぞ恒沙(ごうじゃ)の諸仏すすめたる
 
         

と示されています。時代も世界もそこに住む人間もすべて濁悪であると、きぎしく現実のすがたを見すえて、その濁悪の私たちなればこそ、お釈迦さまだけでなく、十方の諸仏がたがすべて、阿弥陀仏のおみのりを信ぜよ、とお勧めくださっているといわれるのです。
 以上、「如来、世に興出したまふゆゑは」から。「如来如実の言(みこと)を信ずべし」までの四句は、釈迦・諸仏が世に出て説法教化(せっぽうきょうけ)されるのは、阿弥陀仏のおみのりを説き与えてすべての人びとを救うためであるから、いまの世にある人びとはぜひこの真実のおみのりを信ぜよとお勧めくださるのです。このことをわたし自身にあてはめて思いますと、なぜわたしがいま人として生まれてきたのか、その究極の意義は、阿弥陀仏の本願に遇わせていただくことであったと味わっています。

                                                  灘本愛慈先生 
                                                     
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