親鸞聖人と七高僧の教え(善導大師の教え)

▼出生と出家
 善導大師は随の大業九年(六一三)、臨し(現在の山東省臨し)、
あるいは泗州(現在の江蘇(こうそ)省宿遷(しゅくせん))に生まれ、
唐の永隆二年(六八一)六九歳で往生されています。
 大師は幼くして西方浄土の有様を描いた浄土変相図を見て深い感銘を受け、
浄土往生を願われたともいわれ、
また成人して一人前の僧侶となる具足戒の儀式を受けた頃『観経』を読み、
この経こそが自分の進むべき道を説く教えであると思い定められたということです。

▼道綽禅師に入門して後
 大師は聖道門の立場からの『観経』の見方に満足することは出来ませんでした。
こうして山西省石壁の玄中寺で道綽禅師に遇われました。
 それは凡夫が本願力によって報土に往生を遂げるというものでした。
善導大師はここに求めておられた教えに遇われたのです。
道綽禅師が往生される迄の七年間、玄中寺に留まり道綽禅師の教えを受けられました。
 死の往生の後、大師は再び長安の都に帰られました。
時には、終南山の悟真寺(ごしんじ)に籠もり、
あるいは長安市街の光明寺、慈恩寺、実際寺などに留まって、
著作活動に、民衆の教化に努められました。
 大師は永隆二年三月、六十九歳で往生されました。


▼大師の著書


 善導大師には、古来「五部九巻(ごぶくかん)」と呼ばれる次のような著書があります。
一、『観経疏(かんぎょうしょ)』(四帖疏ともいう)四巻
二、『法事讃』二巻 
三、『観念法門(かんねんぽうもん)』一巻 
四、『往生礼賛』一巻 
五、『般舟讃(はんじゅさん)』一巻


 『観経疏』は『観経』を解釈したもので、善導大師の教えが直接に示されています。
それで古来これを「本疏(ほんしょ)」とか「解義分(げぎぶん)」とか
「教相分(きょうそうぶん)」などと呼んでいます。
 『往生礼賛』『般舟讃』は、宗教的実践、宗教行事の儀礼のために作られたものです。
それで「行儀分(ぎょうぎぶん)」とも「具疏(ぐしょ)」とも呼んでいます。

本疏
 ○「玄義分」…『観経』について総じて論ずる
 ○「序分義」「定善義」「散善義」…『観経』の文々句々を解釈する。

具疏(ぐしょ)
 ○『法事讃』…臨時の法会の行事の実修法を示す。
 ○『観念法門』…仏の相好を観想する方法とその功徳を示す。
 ○『往生礼賛』…日常実修すべき六時の礼法を示す。 
 ○『般舟讃(はんじゅさん)』…七日あるいは九十日間を定めて実修する別時の行法を示す。 
 ○「序分義」「定善義」「散善義」…『観経』
 ○『法事讃』…臨時の法会の行事の実修法を


▼古今楷定
 善導大師の教えを学ぶには、『観経疏』を中心としなければなりません。この書は大師自ら、
      某、いまこの『観経』の要義を出して、古今を
      楷定(かいじょう)せんと欲す

と述べて、この書に対する並々ならぬ意気込みが示されています。
「古今楷定」とは、「楷(かい)」は手本、基準などの意で、『観経』の解釈の正しい手本を定め、
古今の聖道の諸師方の誤った解釈を正すということです。
 聖道門の諸師によって自力の見方で『観経』を解釈するものでした。


 善導大師は、明確に、『観経』は阿弥陀如来の願力によって、
罪悪深重の凡夫も、阿弥陀如来の真実の浄土(報土)に往生できることを説くものであることを、
種々の角度から明らかにされたのです。


◎大師は中国浄土教の大成者であるともいわれるのです。

▽善導大師が力説されたのは
①『観経』の救いの対象は凡夫であること、
②『観経』の浄土は、報土といわれる真実の悟りの世界であること、
③一生悪を造った下々品(げげぼん)の凡夫も臨終の十声の称名で往生が可能であること、


▼九品唯凡(九品はみな凡夫)
 善導大師の時代に大きな影響力を持っていたのは、浄影でした。
浄影をはじめとする聖道門の諸師の基本的な考えは、
浄土というのは衆生の自力の修行の結果として感得される世界であると見ることです。


▽浄土が勝れた浄土であるならば、そこに往生する人も勝れた人でなければなりません。
 浄土が程度の低い浄土であるならば、そこに往生できる人も、
 程度の低い人であるということにないます。


▽浄影は、『観経』の直接の救いの対象である韋提希夫人(いだいけぶにん)について、
    韋提希夫人は実に大菩薩なり
 としています。
『観経』に、彼女は「無生法忍を得るであろう」と説かれているからだというのです。
浄影によると、無上法忍というのは大菩薩のさとる境地だからです。
▽浄土に往生する人々を、
 上品―上生・中生・下生、中品―上生・中生・下生、下品―上生・中生・下生と
 九通り(九品)に格付けされています。


☆善導大師は、『観経』は凡夫のための経であって、決して聖者のための経でないことを力説されました。 
 韋提希夫人について
    まさしく夫人は凡にして聖にあらず
彼女は凡夫であって、決して聖者ではない、と断言されています。
▽九品の往生人については、
 各々その違いはあってもすべて凡夫であることを次のように述べられています。
◇上品の三人は大乗に遇った凡夫、中品の三人は小乗に遇った凡夫、
下品の三人は悪に遇った凡夫であるとし、九品はすべて凡夫であるとされています。


▼是法非化(弥陀浄土は報土であり、化土ではない)
 古今楷定(ここんこんじょう)の第二は、
阿弥陀如来と浄土は報身(ほうじん)・報土といわれる真実の仏や浄土なのか、
あるいは人間を教化(きょうけ)するために現れた仮の仏や
浄土(これを応身(おうじん)・応土とも化身(けしん)・化土(けど)ともいう)であるのかという問題です。


 浄影(じょうよう)や吉蔵(きちぞう)などの聖道の祖師は、
阿弥陀如来の浄土は化身・化土であって、真実の仏や浄土ではないと主張しました。

 
○聖道の諸師は、報身・報土といわれる真実の仏や浄土は、
凡夫の目によっては決して見ることのできないものだと考えました。
 浄土三部経の内容は、阿弥陀仏の発願修行や、仏・菩薩、浄土の荘厳相が詳しく述べられ、
凡夫にもわかるように示されています。このような 浄土三部経の内容は、
聖道の諸師の目には凡夫を対象にした程度の低い仮の教えであると考えられことは至極当然のことです。


 浄土教の正しい仏身・仏土の見方・考え方を示されたのが、大師の是報非化です。
【真実の仏】…衆生を救わずして、どうして真実の仏と言えようか、
        真実の仏とは、慈悲の仏であると考えられました。
  また「無量寿経」にのとまはく、
   「法蔵比丘、世饒王仏(せにょうおうぶつ)の所(みもと)にましまして菩薩の道を
   行じたまひし時、四十八願を発(おこ)したまへり。
   一々の願にのたまはく、〈もしわれ仏を得たらんに、
   十方の衆生、わが名号を称してわが国に生ぜんと願ぜんに、
   下十念に至るまで、もし生ぜずば正覚を取らじ〉」と。
   いますでに成仏したまへり。すなはちこれ酬因(しゅういん)の身なり。

と示されています。
 十方衆生を往生させなかったら、仏とはならないという如来の大慈悲を完成した仏が阿弥陀如来である。
この如来こそが報身の仏、すなわち真実の仏である。
決して応身(おうじん)の仏ではないことを強く主張されたのでした。


【酬因(しゅういん)の身】…報身の仏を定義する言葉です。この言葉によって、
               慈悲の仏こそが真実の報身仏(ほうじんぶつ)であり、
               決して化身でないことを強調されるのです



▼別時意会通(下々品の念仏往生は方便説ではない)
 煩悩にまみれた罪深い凡夫が、念仏によって真実の悟りの世界である
報土に往生を得るという浄土教の教えは、今日でも、世間の常識では理解できないことです。


 大師の時代には摂論宗(しょうろんしゅう)が強い勢いをもっていました。
この人達は、阿弥陀如来の浄土は報土であるとしました。しかし、そこに往生できるのは、
初地以上の高いさとりの境地に達した聖者でなければならないと考えていました。


 摂論宗の人々は、下々品の凡夫の十声の念仏ぐらいでは、
とても行といわれる価値がないと考えていたのです。
 摂論宗の主張に反論する形で、念仏による往生できることを明確に示されたのが善導大師の六字釈です。
 下々品(げげぼん)の凡夫の称えた念仏には願と行が具足している。
その理由は、
 「南無」とは帰命ということであるが、また発願回向の心も具えている。
 「阿弥陀仏」とはその行(往生せしめる力)である、と説かれています。
 称名念仏に願行具足という高い価値があり、仏の本願のこころにかなうものであるから、
凡夫が報土往生できるのであると浄土門の立場から明らかにされたのです。
 これが古今楷定(ここんかいじょう)の第三点です。


【浄土真宗】…南無阿弥陀仏の名号に、衆生の往生のための願と行とが如来によって成就されており、
          その名号のいわれを信じたとき、願行が衆生のものとなり、
          信心が口に称名念仏となって出てくるのであるそれで称名にも願行が具足している、
          と考えるのです。


▼三心について(至誠心・深心・回向発願心)
 善導大師の信心は、その著『観経疏』に説かれています。それは極めて詳細で、「散善義」全体の約三分の一をも占めています。大師がいかに信心を重視されたかわかります。


▽親鸞聖人は『観経』について
 『観経』は韋提希夫人(いだいけぶにん)の請(こ)いに応じて釈尊が説かれた経典であり、
韋提希の請いをきっかけに、釈尊はまず定善観を説き、ついで散善を説き、
次第に自力では救われない自己の姿に気づかせて、本願念仏の教えに誘引するために
説かれた方便の経であると見られました。


 『観経』は、表面的に顕著に説かれている(顕説(けんぜつ))自力の教えである。
 裏面的に穏便に(穏彰(おんしょう))、他力念仏の教えが説かれているとされるのです。


 信心についても、表面的には定散自力のこころで往生を願う自力の信心が説かれているが、
その裏に他力信心に入らしめようとする意図が流れていると親鸞聖人は見られました。
 聖人は善導大師の『観経疏』にも顕説と穏彰とがあると考えられました。


【至誠心(jしじょうしん)】…人間には真実心をおこすことは不可能である。真実心とは如来の心である。
               その如来の心をいただいた心が衆生の至誠心である、と味わわれたのです。


【回向発願心】…人間がおこす心ではなく、如来が衆生を浄土に往生させたいと
          如来の方から回向発願してくださった心である。
          その如来の願心をいただいた心が回向発願心である、と味わわれたのです。


▼深心・二種深信について
 深心について、聖道門の諸師は、深心とは深高の仏果にいたらんとする心である。
修行の積んだ聖者のおこす心である。
▽善導大師は深心とは凡夫にもおこすことの出来る深く信ずる心であると考えられました。
 深心とは真実信心であるとも述べられています。
   「深心」といふはすなはちこれ深く信ずる心なり。また二種あり。
   一つには決定(けつじょう)して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、
   曠劫(こうごう)よりこのかたつねに没しつねに流転し、出離の縁あることなしと信ず。
   二つには決定して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受(しょうじゅ)したまふこと、
   疑いなく慮(おもんばか)りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず

と述べられています。


①深心とは、一つには自分の罪の姿を深く信ずること、これを機の深信といいます。
②二つには阿弥陀仏の本願力にとって必ず往生できると深く信ずること、これを法の深信といいます。
▽善導大師の時代の中国仏教界では、摂論宗が大きな地位を占めていました。
▽大師は、摂論宗の人々の信じている『摂大乗論(しょうだいじょうろん)』のような菩薩の説を信用してはならない。  浄土三部経などの仏陀釈尊の説かれた教えを信じよ。仏説を信ぜよ、と切々と訴えられています。


▼浄土真宗の二種深信


 信心については、一心帰命とか、三不三信とか、あるいは三心など種々に表現されます。
◎浄土真宗の信心の根本は二種深信であるとされています。
 一つの信心を機と法との二つに開いたものです。というのも、信心とは
 名号のいわれを信ずることです。名号のいわれは、罪深い者(機)を、
 必ず救う(法)ということです。それで信心には、私のような罪深い者を(機の深信)、
 必ずお救いくださるとは(法の深信)という機・法の二種深信心が具わっているのです。
 このことを二種一具といいます。


▽また二種深信を捨機托法(しゃきたくほう)とも表現します。
 名号のいわれを聞き、如来の救いに遇った時、自らどんな罪も救いの妨げにならず、
 自らのどんな善も、救いの役に立たないと知らされて(捨機)如来の救いにまかせる(托法)ことでもあります。


▼称名正定業
 凡夫が報土に往生できるのは、本願の念仏によるからであると、
明らかに説いてくださったのは、善導大師です。
○大師は第十八願を、
     もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を
     称すること下十声に至るまで、
     もし生ぜずは、正覚を取らじ  

と書きかえて、弥陀の本願の意は念仏する者を往生させると誓った願いであるとされました。


▽大師は往生の行を正行と雑行との二種に分けて示されました。
 正行というのは、
 ①読誦、②観察、③礼拝、④称名、⑤讃嘆供養、
第四の称名を正定業として価値の高いものとし、
他の読誦、観察などの四つの正行を助業と名づけられています。


▽正定業という言葉は、正しく往生の果を決定する因(業因)の意味ですから、
 称名が往生の因のようにも理解されます。
○どう考えるべきでしょうか?
 親鸞聖人は、阿弥陀仏の名号のはたらきが衆生の信心となり、称名となってあらわれるのである。
 決して衆生の称名念仏するという行為が、往生の因であるということではない。 
◎衆生を往生させるはたらきは、あくまでも阿弥陀仏の名号救済のはたらきによるのである、とされました。


                                              黒田覚忍先生
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